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沖縄には、はるか琉球王国の時代から
庶民に育まれ愛されてきたお酒がありました。
それが、自家製の芋の蒸留酒です。
イムゲー
その酒を人々は親しみを込めて
こう呼びました。
漢字で書くと「芋下」。
「庶民の芋酒」という意です。
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久米島の久米仙
琉球王国時代、米の蒸留酒である官製の泡盛は 庶民が日常的に飲めるお酒ではありませんでした。
そこで、「甘藷」「黒糖」など 身近にある材料を工夫して各集落の女性たちが味噌麹をつくる要領で 酒麹をつくり自家酒造したのが イムゲーだったのです。
琉球王国時代もそして明治の世も 常に庶民の暮らしと共にあった自家製芋酒。 親族が集まり、仲間が集まり 共に飲み、唄い、踊り―。
そんな宴の中心にあったのがイムゲーでした。
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琉球庶民がこよなく愛したイムゲー。
ところが、明治後期になると 自家醸造を禁止する酒造法が施行され 家庭でつくられていたイムゲーは 一気に下火となってしまったのです。
そして、大正の頃には ほぼ姿を消してしまうことに―。 やがて大正、昭和、平成と時は流れ イムゲーはいつしか 人々の記憶のはるか彼方に―。
今の沖縄でその存在を知る人は、ほぼ皆無といっても過言ではありません。
まさに幻といえるその庶民の芋酒が 離島の泡盛酒造所3社の手によって 一世紀ぶりに復活。 3社同時に本格販売をスタートさせます
現代版にアレンジされたイムゲーは
その名も IMUGE.
「泡盛」が琉球王国の文化なら、 「イムゲー」は圧倒的多数の琉球庶民の文化。 この2つがあって初めて、 沖縄の酒文化を語ることができるのです。
※請福酒造 久米島の久米仙 多良川に つづき2021年より今帰仁酒造、2022年より比嘉酒造がイムゲーの製造販売に参加。
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